晴天

KOTA(高3)

 今回もダメだった、もう八回目だ、この試験を何度受けても僕は受からないのだろうか。
 昔から落ちている理由が変わらない、改善をしても結果に届かない、僕は傘を差し、下を向く、この大雨と同じくらいに考え事が降ってやまない。
 僕が傀儡を作りだしたのは七年前だっただろうか、操り人形の型を作り、何かをすり減らすような感覚で魂を込めるように術式を埋め込んでいく。そんな試行回数を重ねて、傀儡は完成する。
 長時間かけて完成した時の達成感、命のやり取りをしたような気分になれる息苦しさからの開放感、出来たものが動いて誰かの役に立った時の高揚感、隠していたギミックを誰かが見つけてくれた時のうれしさ、そんな他人から見たらちっぽけなものが僕を魅了していった。
 傀儡の専門学校への試験は年間三回行われる、一度に合格する人は一人か二人だ、合格者が出ない回もある狭き門だ、試験内容はただ一つだけ、傀儡を作り提出することだけである。
 どの試験に出した傀儡も自信があった、毎回最高傑作を提出し、何度も実らぬ努力に心を砕だかれたかも分からない。
 傀儡を作る事だけに専念してから三年目、周りは就職をはじめ、僕だけが進まないこの時間に取り残されている。
 そんなことを考えながら歩いていると、帰り道にある公園にたどり着いていた。
 ブランコとベンチがあるだけの小さな公園、傀儡のアイディアが浮かばないときこんなところで考えたりもした、雨雲と濡れた遊具のせいか公園は寂しさを感じさせてくる。
 家に帰り、風呂に入り、ご飯を食べ、布団に入る。
 次の日になり、僕は傀儡の道をあきらめることを決めた。その日はこれでもかというくらいの晴天で、アスファルトには止んだ雨が残した乾きかけの水溜まりがあった。
 そこには悔しさ、愛、三年間の意味や価値が反射していた。
 ああ、この水溜まりがはやく蒸発して空に帰ればいいのに。




「水たまりには何が映ってる?」というテーマで自由に創作してください!という課題に対して書かれた作品です。

 夢を諦めるというのは簡単なことではありません。長い時間を費やし挑戦し続けてきたことを、例えば一晩で忘れるなんてことはできるものではないでしょう。思いは残り、それを消すことは本人の意思ではどうにもならないはずです。そんな残り火のように留まる心の有り様を、KOTA君は「乾きかけの水溜まり」という言葉で表現しています。やはりそれも自ら消えることはできず、太陽の力を借りるしかないのでしょう。そんなことを考えながら読み返すとき、晴天というタイトルはなんとも切ないものでした。
 高校3年生が、こんなにも静かに深く挫折を描くことができるということが僕には驚きでした。KOTA君がどれくらいの挫折を経験したかは知りませんが、今回の作文を通して彼の心象風景の一部を覗かせてもらったように思います。そして彼が見せてくれた水たまりに映っていた風景は、僕の心の中にも長く留まり忘れられないものとなりそうです。

塾長

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