映画Perfect daysを観て 〜起承転結はいらないのかも〜

 ヴィム・ヴェンダース監督のPerfect daysという映画を観ました。主演の役所広司さんが演じる平山という男性が、淡々と日々を過ごす様子を丁寧に描いた映画です。平山は東京の公衆トイレの清掃の仕事をしています。彼は、毎日目覚ましもなく目覚め、決まった時間にきちんと自分の仕事を進めていきます。大きな出来事が何も起きないこの映画は、観る人によって好みが分かれるかもしれませんが、50年以上生きた僕にとっては、静かに深く染み込むように映像も物語も入ってくる心地よいものでした。

 平山は一見孤独に生きている人で、同時に淡々と繰り返される日常の中に小さな喜びを見つけられる人でもあります。ただ、他人との関わりを一切拒むというわけではなく、泣いている子どもがいれば声をかけるし、いつも通う店の人とは短いながらも交流はあります。特に、姪の少女との短い同居生活の中で、自分がいつも一人で愛でていた「木漏れ日を見る喜び」を彼女と共有している様子が印象的でした。一人の時にも十分に思えた小さな日々の喜びが、誰かと分かち合うことで、さらにもう少しだけ大きくなっていくようでした。平山を演じる役所さんの表情がそれを語っていて、観ているこちらも幸せな気分になりました。

 さて、そんな静かで優しい映画でしたが、一つ驚いたことがありました。それは起承転結がなくても、多くのことがちゃんと伝わってきたということです。授業で子どもたちと作文を勉強している時には、読者に伝わりやすく書くため、起承転結など流れを大切にするようにお話しすることが多いのです。起承転結を使うことは、その型を知っている読者にも、知らない読者にとっても、物語や言いたいことを理解しやすくしてくれるとても重要な方法だと今も思っています。ただ、映画Perfect daysに関してはそれがなくても、ちゃんと心に残るものがあったし、観る者が物語に入り込むことができました。このことは、ちょっと想像以上で小さな驚きでした。

 改めて、大切なのは伝えたいことなのであって、形ではないのだと感じました。もちろん、基本を知った上で、いろんな形を試していけば良いわけで、今後も起承転結は作文の授業の中では教えていきます。ただ、そのうちにそういうものを軽々と飛び越えて「その手もあったか!」なんて思わせてくれる生徒が出てきてくれたらそれも嬉しいことです。などと書きつつ、僕自身は今回も無意識に四段落で書いてしまうあたりが、僕の限界なのかなぁ。

塾長

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