知ることで変わる、朝の景色
ある寒い冬の朝。 布団から出たくありませんでした。あと十分、いやせめて五分……。そんな誘惑と格闘しながら、でもなんとか体を起こしました。こういう朝は、起きられた自分を少し褒めたくなります。
重い体を引きずるように雨戸を開けると、冬の朝日が部屋に差し込んできました。低い角度から射す光は、普段気づかない部屋の様子を浮かび上がらせます。そして、机の上に目を向けた瞬間、思わず息を呑みました。
埃。
薄っすらと、しかし確実に積もっていました。 いつも使っている机なのに、この光の角度でなければ気づきもしませんでした。パソコンのキーボードの隙間にも、本の背表紙にも。まるで、見えない世界が急に可視化されたような感覚です。
「これは放っておけない」
朝からやるつもりはなかったのに、気になってしまったら最後。雑巾を手に取り、掃除を始めました。拭けば拭くほど、次の汚れを発見してしまいます。不思議なもので、一度気づいてしまうと、もう元の状態には戻れませんでした。
十五分ほどかけて机周りをきれいにすると、部屋全体が明るくなったような気がします。清潔になった机に座り、いつものジャーナリングを始めました。朝から体を動かしたせいか、頭もすっきりしています。ペンを走らせながら、「早起きは三文の徳」という言葉が頭に浮かびました。
でも、ふと考えてしまいます。 もしあの角度で光が差し込まなかったら? もし埃に気づかなかったら?
私はきっと、今日もあの埃の積もった机で仕事をしていたはずです。何も知らずに、何も気づかずに。 そう思うと、少しゾッとしました。
「知らない」ということは、時に恐ろしい。 知らなければ、問題は存在しないのと同じになってしまうからです。埃は実際そこに存在していたのに、私の世界にはなかったものです。知ることで初めて、それは問題となり、対処すべき対象になるのです。
逆に「知ること」の大切さも感じました。
- 知れば世界が違って見える。
- 見え方が変われば、行動が変わる。
- 行動が変われば、結果として自分の人生の質も変わっていく。
その先で、世界だって変えられるかもしれません。
これは学ぶこと、勉強でも同じですね。知った瞬間に子どもたちの行動が変わっていくのです。もちろん大人でも。それが学びの力であり、人の成長の原動力なのだと思います。
今日の出来事は、ただ朝に埃を見つけて掃除をしただけの、本当にささやかな話です。でも、こうした小さな「気づき」が積み重なって、人は少しずつ変わっていくのだと感じます。
学びとは大げさな出来事の中だけにあるのではなく、日常のあちこちに転がっているのだと、改めて思いました。
きれいになった机の上でペンを動かしながら、今日の朝のことをこうして書いてみると、冬の寒い朝も悪くない。むしろ、こんなちょっとした学びを運んできてくれるのだから、ありがたいものです。
さて、あなたの今日の「気づき」はどんなものでしょうか。
何かに気づけたら、ちょっとでも行動してみてはいかがでしょうか。その先に、思いもかけなかった楽しいことが待っているかもしれません。

塾長
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