お茶を買いに

 母の自転車のタイヤに空気を入れる。前回はこのまま乗ったのかと心配になるくらいスカスカだった。
「何でもやってもらっちゃって、悪いわね。」
 母が詫びと礼が入り混じったように言う。なんのこれしき。僕はスパスパと、リズム良く空気入れのハンドルを上げ下げした。

 見ると、父の自転車も同様だった。ただ、こちらは父が「自分で入れる」と言う。背中を丸めて、一回一回、空気入れのハンドルを押し下げている。シュコ、シュコという音だけが、11月の空気に混ざって響いていた。

 お茶を買いに行った。年に三回、3月、7月、11月にある特売日だ。そもそもはお茶屋さんではなく、海苔屋さんなのだが、父に言わせれば、「海苔屋はだいたい、お茶も売っているもん」らしい。まあ、本当のところは僕は知らないが。

 前回は7月で暑い時期だったが、すっかり秋も深まり、明日はもう立冬である。

 お茶を買いに行くときは、父と母と三人で自転車で移動するのが習慣になっている。今回でおそらく五回目。つまり、初めて行ったときは一年以上前ということになる。移動中は前から、父、母、僕の順番で並ぶ。前を行く母の後ろ姿が小さいことに驚いたのは前々回、今年の3月だった。その姿はまるで小学生くらいのサイズに感じられた。人が歳をとること、時間が流れていくことが、ずしりと重しのように、僕のお腹だか胸だか、どこか分からない体の中にのしかかってきたのを覚えている。


 両親と自転車で買い物に行くなどは、親が高齢者になるまでは考えられなかったことだ。この年齢になって、何十年振りかに親との距離が縮まり、何かの相談でも報告でもない、穏やかな時間を共に過ごすようになった。ある意味、両親が長生きしてくれたからこその時間なのだ。

 義父も義母も70代で亡くなってしまったので、奥さんはこういう時間を経験できなかったと思うと、少し申し訳ないような気分になる。

お茶の時間


 日本は四季をはじめ、季節を感じられる色々な行事や自然に溢れている。僕の場合は年三回という不思議な区切りの季節感がお茶と共に訪れる。何か特別な出来事が起こるわけではないけれど、暑さ寒さの変化を感じながら、両親との時間を過ごし、一緒にお茶を楽しみ、味わう。ただそれだけの時間にも我が身の幸運を感じられるようになったのは僕自身がもう随分と長い時間を生きたからだろう。

 いつか僕は一人でお茶の特売に行くことがあるのだろうか。

 少なくとも、3月、7月、11月に同じ海苔屋さんからの広告メールが届くだけで、しんみりするんだろうとは思う。でも、そういう気持ちになれるだけの時間を、大人になってから経験できているのは間違いなく幸福なことなのだ。

塾長

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